豆知識 歯科版トリビアの泉です。
 

4.口の中を流れる電流  

皆さんは、口の中に銀紙を入れて何気なく噛んだり、なめたりした際、”ピリッ”とした刺激を感じたことはないでしょうか?何やら不思議な現象で何か怖い物見たさ、体験したさから銀紙を口の中に入れて試してみた方は少なくないと思います。編集子も、どうして銀紙を口の中で噛むと”ピリッ”とした感覚があるのか不思議でならなかったことを今でも記憶しています。
実は、 銀合金と金合金といった種類の異なった金属製の詰め物や被せ歯同士が口の中の歯にセットしてある状態でそれらが接触すると、口の中にある唾液や骨、歯の内部にある組織液が電解質となり電池が形成され、電流が走ることがあるのです。これがピリッとくるものの正体で、専門的にはガルバニ電流と呼ばれています。このガルバニ電流が刺激となって歯の中の神経(専門的には歯髄と呼びます)が痛みとして感じるのです。銀紙を噛んでピリッとする感覚もまさしくこのガルバニ電流によるものなのです。
実際に、金属製の詰め物や被せ歯がセットしてある人はこのガルバニ電流が生じることがあります。歯医者はできるだけガルバニ電流が生じないよう、口の中にセットする金属はできるだけ同じ種類のものを使用するか、もしくは金属製でないプラスチック製やセラミック製などの材質の詰め物、被せ歯をセットするように心がけるよう努めています。
興味深いことに、同じ材質の詰め物でも古い詰め物や被せ歯と新しい詰め物や被せ歯同士で噛み合う場合、ピリッとするガルバニ電流が生じることがあります。材質の新しさ、古さによる電位の差による現象のようですが、新しい詰め物や被せ歯をセットして数日程度経てば電位差がなくなってくるのでガルバニ電流は流れなくなるようです。

  

3.タニマチの由来  

最近、相撲と言えば、二子山親方が亡くなって以来、元横綱若乃花である花田 勝氏と貴乃花親方の確執が芸能マスコミを中心に派手に伝えられています。親子の確執、兄弟同士の反目、離婚、愛人、財産相続といった様々な問題が複雑に絡み合っているため、格好の芸能マスコミネタになっているのは周知のところです。
その一方、肝心の相撲はというと、大相撲では人気の低落が続いています。場所での空席が目立ち、満員御礼の垂れ幕が下がるのも数える程の日しかない有様。かつて若貴ブームで相撲界を賑わした頃のことを思い起こすと隔世の感があります。

そんな相撲の世界で力士や部屋にとって欠かせない存在があります。それは後援者、タニマチの存在です。タニマチは元来相撲の世界を中心に使われてきましたが、今では有力な後援者やパトロン的存在のことを広く指して使われています。

このタニマチという言葉、由来は一体何かご存知でしょうか?
明治時代末期、ある力士の有力な後援者が大阪市内にある谷町筋に住んでいたことから派生しているのです。実はその後援者は歯医者だったのです。大変な相撲好きだったその歯医者は歯の治療にやってきた力士からは治療費は一切取らないだけでなく、飲み食いの世話までしたというエピソードが由来なんだそうです。

力士と言えば太い腹がトレードマークのようなものですが、タニマチの元祖になった歯医者も随分と太っ腹だったのですね。

  

2.新撰組の生き残りとむし歯  

平成16年のNHKの大河ドラマは”新撰組!”。
皆さんも既にご存知のこととは思いますが、 江戸時代末期は徳川幕府の力が衰え、尊王攘夷の嵐が吹き荒れる無政府状態。その無政府状態でも特にひどかった京都の治安を守ろうとしたのが、武士出身でない農家出身の郷士と呼ばれる人たちで剣術に長けた新撰組でした。局長の近藤 勇をはじめ土方歳三や沖田総司など個性豊かな面々が数多く隊員で、今もって人気が
高いわけですが、そんな新撰組の中で剣の腕では近藤 勇以上だと言われていたのが二番隊隊長の永倉新八。

新撰組は結成当初はかなりの活躍をしていたのですが、時代の流れに逆らうことはできず、最終的には薩摩、長州を中心とした維新派藩に破れて敗走してしまいます。そのような激動の時代、いつ命がなくなってもおかしくない時代に生き延びた数少ない新撰組メンバーの一人が永倉新八だったのです。

その永倉新八ですが、80歳くらいまで生きていたらしいのですが、最期は実にあっけなかったのです。なぜなら、むし歯が原因で亡くなったからです。ある奥歯のむし歯がひどくそれを放置していたらしいのですが、むし歯のばい菌の一部が顎の骨に感染し、それが全身に影響して敗血症で亡くなったとか。今であれば、たかがむし歯で命を落とすかと疑いたくなりますが、永倉新八が亡くなった明治時代は、日本では抗生物質が普及していませんでした。今であれば抗生物質を投与し、感染したばい菌を退治しながら原因の歯の治療をするですが、当時はそこまで歯科学が発展していませんでした。

江戸の幕末から明治の激動の時代を生き抜いた豪傑がむし歯一本で死ぬということは何とも皮肉みたいなものがありますが、当時のむし歯は激動の時代よりも怖いものだったのですね。

  

1.木の入れ歯  

有名なのは徳川家康の入れ歯です。
よく歴史関係の書物で取り上げられることもあるかとはいますが、晩年の徳川家康は歯が全て無くなり、そのため木の入れ歯を作らせ食事をしていたとか。
それでは入れ歯はどんな作り方をしていたかというと、木ロウで歯型を取り、その歯型を元に作っていったとか。使用したのはツゲの木。ツゲの木は緻密で硬く、また抗菌作用もあって不潔になりにくく、入れ歯の素材としては最適な材料だったようです。

現在のように歯科技工士がいなかった時代、一体誰が入れ歯を誰が作っていたかということになりますが、それは仏師だったようです。仏像を製作していた仏師が大名や身分の高い人の求めに応じてツゲの木を彫刻して入れ歯を作っていたとか。

このような入れ歯は江戸時代初期から作られていたようですが、当時の先進国と言われるヨーロッパには入れ歯にあたるものはなかったようで、ヨーロッパで初めて入れ歯が考案されたのが19世紀初めであることを考えると、日本の入れ歯技術はヨーロッパよりも200年進んでいたとも言えるでしょう。

現在では、入れ歯を木で作ることは無く、プラスチックやカーボン素材などの材料を元に作られています。現在の入れ歯の技術は当時の技術をそのまま転用することは少ないのですが、現在も残っているこれら木の入れ歯から学ぶことはいろいろとあるような気がします。

  

 

 

 
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